概要 ▶ 結局自分はPC世代寄りの人間なんだな、そう思わざるを得なかった。コミュニティに対して情報価値を主に求めてしまっているからだ。数週間前、blog界で電車男の話が盛り上がっていて流行に弱い私は電車男の話を読んでみた。真夜中(1時頃)に読み始めて読み終えたら外が明るんでいた(4時頃)。まだ読んでいない人はすぐに読んで欲しいと思う(→電車男のまとめページ(geocities.co.jp))。電車男の話は今
数週間前、blog界で電車男の話が盛り上がっていて流行に弱い私は電車男の話を読んでみた。真夜中(1時頃)に読み始めて読み終えたら外が明るんでいた(4時頃)。まだ読んでいない人はすぐに読んで欲しいと思う(→電車男のまとめページ(geocities.co.jp))。
電車男の話は今更かと思うが、日常/非日常Blogのエントリー(txt-nifty.com)やCNET Japanの梅田氏のエントリー(cnet.com)などを読んでいたら色々考えさせられてしまった。
電車男の話を読んでいると、この電車男のネット依存度(というよりネット上のコミュニティに対する依存度)が非常に高かったことが読める。「わからなかったらネットで検索」「コミュニティに疑問を投げる」…これは、自分を含めたインターネットを利用している人ならかなりの回数行っている行為だと思う。自分の行動に確信性がなくて、心配になってネット上のコミュニティに正しさを求める、この行動自体は私もあるが、何でもネット上のコミュニティに投げてしまうという電車男のネット依存度に私は驚いてしまった。
「日常/非日常Blog」のエントリー「電車男 後日談 女神もまた神話に魅せられる?」(txt-nifty.com)にある
このまま私たちは、分からないこと・勇気が足らないことについては、どんなことでもすべてネットコミュニティに依存していくようになるのでしょうか。
という不安感(違和感?)は残念ながら私にもある。ネットの向こうに人がいるのはわかるのだけれども、そこに本当にダイブして良いものかという不安感だ。世代が違うのか…。
ここでPC世代とインターネット世代ということで梅田氏のエントリー「ネット世代とPC世代を分ける「インターネットの隠れた本質」」(cnet.com)があるので引用する。
キーワードは、「ネットの向こうに存在する不特定膨大多数」への「信頼(トラスト)の有無」である。ネットの向こうに存在する千万単位、億単位の見知らぬ人々(有象無象)やその知やリソースを、当たり前の存在として心から信頼できるのが「インターネット世代」、頭では仮にわかっても心からは信頼できないのが「PC世代」。というのが、最近僕が感じていることを何とか言葉にしてみた結果である。
私はこの書き方には違和感を持った。ネット上の情報の信頼性の保証は確かに大きな問題であることも理解はしているが、果たしてインターネット世代が心から信頼しているかどうかは甚だ疑問だ。
私が考えるにPC世代とインターネット世代の大きな違いは疑問を解消するときの意識の違いだと考える。世代間の「わからなかったらネットで検索」の意識は大きくは違わないだろうが、「コミュニティに疑問を投げる」際の過程が違うのではないか。
よく掲示板などで「○○ってどうやればいいのですか?」などという質問が書き込まれる。質問の内容は説明書・マニュアルを見ればわかるようなこと。PC世代はここぞとばかり「説明書・マニュアルを読みましたか? それくらい読んでください」もしくは「きちんと調べてみましたか?(説明書・マニュアル・ネット・サポートセンターを含む)」という反応になってしまうのではないか。
インターネット世代で質問内容を書き込む人は説明書・マニュアル・ネット・ネット上のコミュニティ・サポートセンターのいずれで疑問を解消したとてもそこには何も違いはないと感じているのではないか。つまり問うメディアが違うだけで非常にフラットな関係があると感じているのではないか。だから気軽にネット上のコミュニティ(掲示板など)に疑問を書き込むと考えられる。
もちろんメディアの質がフラットというわけではなく、信頼性・確信性という点では説明書・マニュアル・サポートセンターが高いと思うが、調べるのが面倒だ、つまりコスト高という点で選択肢のひとつとして選ぶ優先順位は落ちる。逆にネット・ネット上のコミュニティは信頼性・確信性では落ちるが、調べるにあたってのコストは低い。コストをどのように見るかは各個人の判断でしかないが、物理的(説明書・マニュアル)・金銭的(サポートセンター)なコストよりは、(たとえ時間コストがかかったとしても)心理的にコストが低いネットやネット上のコミュニティの方が疑問や質問を投げやすい。
それも、インターネット世代から見ればネット上のコミュニティは生きている辞書・検索エンジンである。はてな(hatena.ne.jp)やOK WEB Community(okweb.ne.jp)(教えて!goo(goo.ne.jp))の例を挙げるまでもなく、コミュニティに聞いた方が早いのではないか、そういう心理がインターネット世代にはあるのかもしれない。こうなると、ネット上のコミュニティにユーザー間の交流(雑談を含む)や解決できない難しい問題を投げ込んできたPC世代はインターネット世代の非常に低レベルな質問や疑問に呆れかえって拒否反応を起こしてしまうのではないか。
この点については、「デジモノに埋もれる日々」blogのエントリー「私たちがネットを通して見ているもの・築いていくもの」(doblog.com)の中でコンピュータ世代とネット世代の人として以下のように述べている。
・コンピュータ世代の人は、コミュニティに於けるコミュニケーションを、
「価値ある情報に近づくための手段だ」と考えることが多いようです。
情報交換を重ねて、価値ある情報という「結果」が得られれば目的が達成できる、
その過程に於ける対話は手段でしかなく、結果が生み出せない対話は価値が薄い、と。
・ネット世代の人は、コミュニティに於けるコミュニケーションそれ自体を、
生活に於ける「娯楽」の要素として捉えていることが多いようです。
そこに於いては、より良い情報が引き出せるかどうかは「二の次」であり、
その過程に於ける対話の連続そのものに楽しみを見出しているのだ、と。
この中でコンピュータ世代は「価値ある情報」が求めていると分析されている。私にはどこでも手に入るような情報価値の低いものは求めていないとも読める。対してネット世代の人たちは情報価値の高い低いの判断は二の次であるため過程(対話・ダイアローグ)に重きを置いていると分析している。
このネット世代の情報価値の判断が二の次になっている点が大きな問題で、このことがコミュニティへの価値観のズレを発生させ、PC世代とインターネット世代とのコミュニケーションを阻害しているのではないか。これは極端な話、コミュニティそのもののありかたにも話が続く。
OK WEB Community(教えて!goo)とYahoo!知恵袋(ベータ版)(yahoo.co.jp)は同じような疑問解決型のコミュニティサイトだと思ったが、コミュニティのポイントの与え方が全く違う。OK WEB Community(教えて!goo)の「ためになるのでポイント」というのとYahoo!知恵袋の「とりあえず何か書き込んだらポイント」といった違いがある。これはPC世代とインターネット世代の違いのようなものではないか。ただし、OK WEB Community(教えて!goo)と比べてYahoo!知恵袋は「疑問の解消」には効果が薄い場合もある様に感じる。どちらかというとYahoo!知恵袋はネタの質問や返答が多い気もしないでもない。
マーケティング業界で近年「AIDMAからAISASへの変化が起こっている」と言われるように、消費者は情報をShareすることに意義を感じ始めている。情報をShareすることによって、対話・会話(ダイアローグ)が生まれ、新しい何か(新商品・新情報・自分の価値判断の正しさなどの購入したそのものの価値ではなく、それに付随する情報)を見つけられるのという期待を消費者は持っている。こうした流れもインターネット世代の発生と発展の流れと一致するところではないだろうか。次回こそはこうした流れを元にAIDMAとAISASの話をまとめたい(笑)。