概要 ▶ そういう問題ではないだろう…というニュースをTwitter経由で知った。10月31日付けの読売新聞の島根県のニュースから。県は30日、自殺防止の施策をまとめた県の「自殺対策総合計画」の名称について、「自殺」という言葉の使用をやめ、来年度から「自死対策総合計画」に改める方針を示した。中身も「自死」の言葉を使う。遺族の感情に配慮したといい、県の文書では今後、可能な限り「自死」に統一する。県文書「自殺」
10月31日付けの読売新聞の島根県のニュースから。
県は30日、自殺防止の施策をまとめた県の「自殺対策総合計画」の名称について、「自殺」という言葉の使用をやめ、来年度から「自死対策総合計画」に改める方針を示した。中身も「自死」の言葉を使う。遺族の感情に配慮したといい、県の文書では今後、可能な限り「自死」に統一する。
県文書「自殺」→「自死」へ 来年度から : 島根 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
この問題は言葉を直せば良い話ではないと思うのだが…。
「自ら殺す」を「自ら死す」とすることで何が変わるのかというと、殺すという言葉自体に罪人のイメージがあるからなのだそうだ。
「自殺」という言葉を巡っては、「殺す」という文言が含まれ、罪人のようなイメージがあることから、県内の遺族らが「自死」とするよう県に求めていた。言葉の置き換えは遺族グループが求めていたらしい。
県文書「自殺」→「自死」へ 来年度から : 島根 : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞)
このページへのTwitterの言及を見ていて、そうだなと思ったものを掲載しておく。
そんな気遣いできるなら、生きてるうちになんとか・・・/県文書「自殺」→「自死」へ 来年度から : 地域 : YOMIURI ONLINE(読売新聞) yomiuri.co.jp/e-japan/shiman…
— lapisさん (@l_a_p_i_s) 10月 31, 2012
自殺する前に、社会で何とかカバーできれば、そもそも自殺ということが起きなかったかもしれないのだから、まず対策に取り組むことはとても重要なことだと思うし、色々な面から取り組んでもらいたい。
また、自殺に至る前に、周りの人達が気持ちを汲んであげれば、そして問題を解決してあげられれば良いに違いない。とても大切なことだ。
ただ、そうは言っても、実際に自殺を考えると、家族や知人に相談するのも「重い話だし、迷惑かな…」なんて考えてしまうのも実感として分かる。
それは直近で自殺しようとする夢を見たから。
ちょうど今週の火曜日(10月30日)に見た夢が、集団自殺をする夢だった。
複数名で焼身自殺を図ろうとする夢で、夢の中で見ていた自殺前の淡々とした準備(何か服装を着替えて、死ぬ前にそのメンバーで食事を取るなど)は「ああ、死ぬんだな」くらいにしか思えなかった。
夢の中では最終的に焼身自殺を行う前に、ふとあることが心に湧き上がり「死にたくない」と思って、自殺を思いとどまり、メンバーに謝って夢は終わった。
結局、焼身自殺をしようとするときに、誰かに相談しようなんて気持ちは微塵もなかったわけで、決めてしまったら後は突き進んでしまう、そんな体験をした。(夢の中ですけどね)
死ぬことを決めて突き進んでいるときの本人の意識としては本当に「死」への意識が希薄になっていて、死ぬことが「自殺」なのか「自死」なのかなんてことは問われても、きっと「そんなこと、どうでもいいでしょ」としか思わないだろう。自分の中が無力感・虚無感でいっぱいだから。
今、ブログを書くにあたって、夢を振り返っても、私はどうでもいい問題かなとしか思えなかった。
P.S.
翌日(10月31日)も死に直面した夢だった。(自分がではなく、事故の場面に立ち会ってしまったというもの)