【読書】『多読術』(松岡正剛著/ちくまプリマー新書)~その2


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概要 ▶ 今回紹介するのは「第21回新潟市読書会『多読術』」で課題図書となっている松岡正剛さんの『多読術』(ちくまプリマー新書)です。今回は第三章を紹介します。第三章 読書の方法をさぐる雑誌が読めれば本は読める/三割五分の打率で上々/活字中毒になってみる/目次をしっかり読む/本と混ざってみる/本にどんどん書き込む/著者のモデルを見極める


今回紹介するのは「第21回新潟市読書会『多読術』」で課題図書となっている松岡正剛さんの『多読術』(ちくまプリマー新書)です。



今回は第三章を紹介します。

  • 第三章 読書の方法をさぐる
    雑誌が読めれば本は読める/三割五分の打率で上々/活字中毒になってみる/目次をしっかり読む/本と混ざってみる/本にどんどん書き込む/著者のモデルを見極める

気になったポイント~第三章 読書の方法をさぐる


雑誌には、雑誌ごとの言語感覚とデザイン感覚があって、それが特色を競いあっていると見るべきです。
〈中略〉
その特色が如実にわかるのはヘッドライン(見出し)です。
〈中略〉
歌でいうなら「サビ」の部分なので、それが気にくわなければ読まないほうがいいでしょう。逆に、その「サビ」を無視して読まないほうがいい。
『多読術』(松岡正剛著/ちくまプリマー新書)P65

ヘッドラインが煽り気味のタイトルならそういうメディアということであろうか。また、作り手側から見た場合は読者層をそういう言葉に弱い層を想定しているとも言えるのではないか。

ヘッドラインは最初に読者が見るところなので作り手としては最も力を抜いてはいけない部分とも言える。
これはブログでも同じで様々な場所で言われている。ただどちらかというと、AISASのAの部分のAttentionを強力にするために煽り気味なものも多い印象がある。


ぼくが「目次読書法」と名付けているものですが、目次を見て、ごくごくおおざっぱでいいか、その本の内容を想像するというのが大事なんですね。わずか三分程度のちょっとしたガマンだから、誰でもできる。そうしておいて、やおらパラパラとやる。
 そうすると、目次に出ていたキーワードから想像したことと、その本の言葉の並びぐあいとの相違が、たちまち見えてきます。想像にまあまあ近かったところや、まったくアテがはずれたところが、すぐに見えてくる。
〈中略〉
この三分間目次読書によって、自分と本の間に柔らかい感触構造のようなものが立ち上がる。あるいは、柔らかい「知のマップ」のようなものが、ちょっとだあけではあっても立ち上がる。
『多読術』(松岡正剛著/ちくまプリマー新書)P71

読者と著者の間には知識や考え方の違いが当然ある。
目次のキーワードを捉えることで著者が主張したいこと、強調したいことを把握、想像しておけば、どのような展開になるのかを想像しやすいので理解も進む。


また、キーワードから内容をイメージして読書をするというのは、目的意識を明確にして読むということなのではないか。
読書は目的を持って、自分の中にある問題やモヤモヤとしたものを解消するために行うものであるので、その問題意識と著者の主張とがどのように合っているのか、異なっているのかを明確に意識していると情報のインプットが効果的に行えそうだ。

またキーワード中心に想像するということは、文章中心で考えるより繋がりの制限が緩やかであるので、頭の中で図示した構造を描きやすいという効果もあるかもしれない。


読書というのは、書いてあることと自分が感じることが「まざる」ということなんです。これは分離できません。それはリンゴを見ていて、リンゴの赤だけを感じることが不可能なことと同じだし、手紙の文面を読んでいるときに、こちら側におこっているアタマやココロの出来事を分断できないことと同じです。そこは不即不離なんです。
 ということは、読書は著者が書いたことを理解するためだけにあるのではなく、一種のコラボレーションなんです。ぼくがよくつかっている編集工学の用語でいえば、読書は「自己編集」であって、かつ「相互編集」なのです。
『多読術』(松岡正剛著/ちくまプリマー新書)P76

書いてあるものをそのままに受け取ることは不可能である。
解釈は読者の知識にも大きく依存するし、自分のおかれている肉体的・精神的な状況にも依存する。
著者の文脈(コンテキスト)と読者(自分)の文脈が全く同じということはない。断絶がある。そこを埋めていくこと、もしくは断絶の原因となっている違いを明確化することが読書ではないか。


 ひとつには、自分の気になることがテキストの“どの部分”に入っているのか、それを予想しながら読むということです。
〈中略〉
 もうひとつは、読書によって読み手は新たな時空に入ったんだという実感をもつことです。そのことを読みながらリアルタイムに感じることです。
〈中略〉
 そこで、ぼくはこの二つのことをあらかじめはっきりさせておく方法として、読みながらマーキングすることを勧めています。鉛筆でも赤ボールペンでも、読みながら印をつけていく。
『多読術』(松岡正剛著/ちくまプリマー新書)P82

ノートをとるのが好きな人とか、パワポ(パワーポイント)が好きな人には、ゼッタイに向いている。というのも、これは「本をノートとみなす」ということだからです。
『多読術』(松岡正剛著/ちくまプリマー新書)P84

本がノートという発想は非常におもしろく、この『読書術』で一番気に入っている部分だ。

本を本と考えずに、最初から考えていることのベースとなるものがノートに書いてあってラッキーくらいに思うと、本への書き込みへの心理的な抵抗感も少し緩和されて気が楽になり、なおかつお得な感じがするのではないか。


リアルタイムに感じたことをマーキング(書き込み)していくというのは、読んだその時点の解釈をなるべく正確に書いておくべきだという主張だと思う。 同じ内容を読んだとしても、状況が異なれば解釈が異なるためであろう。

 著者や執筆者のモデルの相違を感じるようになるといいでしょうね。あまり著者や作家や学者をエライ人だなどと思う必要はなくて、いま、この人が自分にプレゼンテーションしているんだと思うんです。
『多読術』(松岡正剛著/ちくまプリマー新書)P86

おもしろい表現だと感じた。
本を通じてプレゼンテーションを行っていると思うと、わからない点があれば質問でもしてみようかという気持ちになれる。
また、プレゼンテーションは発表者を強く意識できる表現方法なので、本を通じてプレゼンテーションをしていると思うと、情報だけでなく、著者を意識できると感じた。


『多読術』を読みたくなったら(*゚∀゚)っ

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